幸せな出会い~白文鳥ふくちゃん
とても個性的な性格の文鳥
インコさんやオウムさんとは違い、かなりの怖がりで神経質な一面を持つ文鳥。その魅力にとり付かれてしまわれる人は増えているのではないかと思います。
私自身、数十年前とつい最近まで男の子の文鳥を飼っていました。求愛のダンスや歌を歌ったりは同じでしたが、その個体によってメロディが違うんですね。
ただ体がとても小さいわりに、ちょこまかと動き回っていてそこが愛らしいと感じました。放鳥しているときには、巣を作る(営巣)ことに夢中になって、人間が見つけられない所にじっとしていることもしばしば…。
最近までうちにいた子は、ペットショップで売れ残っていてほぼ成鳥になっていました。 さし餌をしてあげることで、よく言われる「ベタ慣れ」状態になるとは分かっていたのですが。 ただ前までもう一匹の文鳥も同じケージに入れられていたのに、次に見に行くとその子だけになっていました。ちょっと寂しそう・・・。
白文鳥ふくちゃんとの出会い
この子ももう人を怖がるんじゃないかと思いながら、近づいてみました。そうしたら不思議なことに(私にとってですが)、人と触れ合いたいそぶりを見せてくれて話しかけたり、良くないとは思いながらもケージの間から指を入れてみたりしました。ちゃんとこちらの声を聴いて反応してくれたり、そわそわして外に出たがってました。もうこの時点で心はわしづかみされてたんだなぁ。
お店のお兄さんが様子を見に来て、「よかったら、触ってみられますか?」と声をかけてくださいました!!
小動物を置いている場所はだいたいが扉の閉まる小部屋になっています。そこでお兄さんがその子を私の手に・・・。
飛び回ることもなく人の近くに居ることが好きな印象で、私の指から嬉しそうに腕の方へ移動してきました。
本当は・・・
ペットショップへ通っていた目的は、コザクラインコをまた飼いたくなったので、相性の合いそうな個体を求めていろいろとはしごをしていました。 なかなか”この子だ!!”と感じる出会いがなく、もうあきらめようかとも・・・。
しかし!
あの時、小鳥との触れ合いに飢えていた私でがありますが。 その文鳥を見て、触れて”ビビビ”と何かを感じ取りました。
鳥さんは全般に大好きなので、差別する気持ちはなかったです。ただ久しぶりにお迎えする小鳥はコザクラインコと決めていたので…。
素敵な縁をありがたく思いました
あんなにこだわっていた小鳥の種類って、いったい何だったんだろうというくらいにこの出会いに今でも感謝しています。
確かに自由気ままな性格で、子猫のような移り気の早さや理不尽に激おこになったり、かと思えば人のそばを離れなかったりと。
この出会いのおかげで、私は種類を問わず小鳥が大好きであったことを痛感し、あくまでも相性を重視したいと思えるようになりました。
ふくちゃんは迎え入れたときすでに、生後4か月でひとり餌で成鳥用のケージに居ました。 ベタ慣れにするのはちょっと厳しいかなと思いつつも、この出会いを無駄にしたくないという気持ちでいっぱいになりました。 よく鳥好きさんに言われるにぎころや手の中で寝るのを楽しみ にはしていましたが、そこまでには至らなくても十分なついてくれましたよ。
ひなの頃からの習慣は大きいと思った半面、まだまだ学習期でもあったので人を怖がることもなく、時には手のひらの上で眠ってくれました。
また文鳥と暮らしたい!!
残念なことにふくちゃんは3さいを過ぎてから、体調不良が徐々に出てきてしまって…。 出来る限りの手はつくしましたがやはり私は無力だと思い知りました。 このお話はまだ文章にするには私の感情が追い付かないため、いつかブログに書けるようになったときに公開したいと思います。そのときはぜひ読んでいただいて、皆様の大切な家族である小鳥さんたちの健康管理として役立てていただけたらとてもありがたいです。
どの種類の小鳥も人間と同じく、ひとりとして同じものはいません。その個体の代わりになる生き物はいないのです。
だからまたふくちゃんと出会えたような素敵な奇跡を信じて、ペットショップ巡りを続けたいと思います。
生き物を飼っている皆さんも大切にしていることと思いますが、出会えたことは運命かと思います。寿命は当然短いですよね。 別れはとても辛いものです。でも出会える機会を私は大切にしたいと感じました。
飼い主もペットたちもお互いに必要な存在であると思います。 これからも様々な生き物たちとの出会いを楽しみにしたいと日々感じているところです。
SNSや動画サイトを楽しみに
今は待ってい出会い待ちということで、ほかの方々のいろんな生き物たちとの生活を見させていただいています。 どの方も幸せそうで正直うらやましいですね。もちろん生き物たちも。 いつか私もそんな風になりたいです。
最後に
ペットを飼うということは、責任も伴い軽い気持ちではできないですよね。 飼っていること自体がかわいそうという声も聞いたことがありますが、やはり売られている以上は買う人もいて…。
売れ残った子たちはどうなるのか想像するのも怖いです。 正しいことは何かはわかりませんが。 本当に大切にしたいと思う人たちが家族の一員として迎えることは決して間違っていないと思うのです。
おたがいが幸せになれたらいいなぁ。 ありきたりですが一期一会を実感する出会いが出来たことを、ふくちゃんに感謝です。
ひとりでも多くの人に素敵な出会いがありますように…。 2020年10月29日 mar
コロナ・・・隠れたところにあるストレス(私の立場から)
本当に必要?
最近よく思う事ですが、いまの世の中としてコロナから身を守るための生活で、さすがに疲弊してきているなと感じます。
小売店で働いておりますが、アルコール消毒やマスクの着用が当たり前のことです。
やはり皆さん遠出をすることがなくなったこともありよくお買い物に来てくださっています。
その中で多種多様な考えの方々がいらっしゃるわけで、報道でマスクや紙製品に始まり○○が品薄になるかもという情報に右往左往してしまうのも仕方のないことかもしれません。
このことも販売する側に大きな負担がありました。
限られた人員で回している店なので、長蛇に並ぶレジをしながら問い合わせの対応やそのほかの商品補充。心無い言葉や果てはばい菌扱いもあったり。
働く場所があるのはありがたいけど
わたしは裏方で仕事をしていましたが、問い合わせの電話や店本部の通達の対応やテナントさんの営業時間の変更に伴うシステムの操作などやる事は山のようにありました。
通常の仕事以外にやるべきことが次から次へと発生して毎日疲れ切っていました。
どの業種でも今は本当に大変な時であると思います。
コロナの感染は未だ収まらず、世界中の人々がおそらく同じような状況なのかもしれない。
クレームの対応
少し前から従業員がクレジットカードやポイントカードを素手で触ると”きたない”と言ってくる方がいました。この方は何回もクレームを言ってきています。
ちょうどカードの操作はお客様にしていただくシステムに変更となっていたため、その流れで出来るだけレジの担当者がカードを触らないという方向になりました。
ただご年配の方が多いという事もあるのですが、ご自身でできない方もいるような場合は担当者がカードを差し込んだりしていました。
ポイントカードと高齢の方用の割引券があり、割引券の方はレジでスキャンする様式の物です。
もちろんそれにも触れるなという投書があり、お客様に裏返して提示していただきスキャンするというやり方に変更・・・。
いったいどこまで
さらに驚くことに「スキャンできるようにバーコード面を上にしてください」とお客様に伝えた事でもクレームが入りました。
どうも”感染防止に協力してもらっているくせにエラそうな言い方をするな”という事でした。
→結果
『申し訳ございません
バーコード面をスキャンできるように置いてくださいますか?
ご協力ありがとうございます。』
接客用語がさらに増えました。
終わらない忙しさと大量のかごの中身。
前のお客様の金銭のやり取りののち、次の方の商品をレジ登録のためもったところ
「お前が(レジの際)触ったものに菌が付いた。どうしてくれるんだ」
と怒鳴られる従業員もあり、言い返すことなどできない状況でとても辛そうでした。
私たち小売で勤務する人間は、自粛期間にも感染におびえて仕事をしてきました。
クレームの対応とはいえ上層部はお小言が入るたびに決まりを作り直し、さらに何かを言われるとまた新たな決まりを提示してきます。
繁忙期でもないのに忙しいのはお店にとっては良いことなのかもしれない。確かにそれでお給料をいただいているのですから。
よく耳にようになったが、接客業をしている者が実感することのないもの
- おうちじかん
- この機会に普段できないことに挑戦しよう
- 持て余した時間を・・・
私たちには正月も盆もなくさらに通常なら閑散期となる時期ですら今年は忙しくしています。
仕事があるだけましなのもわかりますが、何でこんなにしんどいのかな、と思ってしまいます。
コロナに関しては誰にもどうしようもない事ですし、混乱したりする気持ちもわかります。
接客のあるお仕事をされている人間も同じように思っているって思わないのかが不思議。
そう同じ人間同士なのに、なぜこういった違いが出るのでしょうか。
アルコール消毒すれば安心なのだろうけど、頻繁にすることは手荒れの原因にもなるのに。
本気でそこまでやるの?私たちは生身の人間ですが、そこは無視?
店幹部はお会計ごとにアルコール消毒をするように言ってきていました。
むりだろ、どこまで言いなりになって従業員を痛めつけるんだ
と思いました。
結局は従業員の激しい反発のために一定時間過ぎたら各自がアルコール消毒をするで収まりましたが。
会社としての決まりを守ったうえで業務を遂行しているので、本来は店として間違った対応をしているわけではありません。
そこを分かってくださる方がクレームを言ってくることはないので、一人二人のお客様の苦情のためだけにその都度方針を変える形になっています。
これからの望み
このような事態になるとは考えもしなかったので、マニュアルがないのは仕方がないと思います。
ただもう少しお店側が毅然とした対応をするのも、従業員を守る意味でアリではないでしょうか。
おわりに
何が正しいかなんて、本当にわからない事があるんだとコロナの件で思うようになりました。
もちろんこれまでも災害などで被害があったことで、何かを学んだりもしたはずです。
その時の後悔や教訓を次につなげる。そういった地道な努力があったかと思います。
きっと今回のコロナでも後悔をする事もあるだろうし、迷ったりすることもあるでしょう。
各々が情報をネットなどで手に入れやすくなっており便利だと感じる半面、嘘か本当かもわからない情報に右往左往するかもしれません。
目や耳に入る情報だけでなく、今現在すべての人が共に生きているということを忘れず、この脅威に立ち向かうことが出来たらと思います。買占めや転売等で困難な時期を誰もが身をもって経験しています。
大切な情報と疑うべき情報をより分けるのは難しいですが、自分の行動で困る人がいないか・本当に買いだめをしないといけない物かを、少し立ち止まってでも考えていけたらよいのではないでしょうか。
まだつづくコロナ禍に気を引き締めて行動したいものです。皆さんもそれぞれ自粛や仕事などで大きなストレスを感じていることと思いますが、地に足をつけて何とか乗り越えましょう。
2020年9月21日 mar
はじまりのごあいさつ
見てくださっている方、ありがとうございます。marです。
自分自身の中で何かを変えたいと思ってたどり着いたのがブログをやってみるという事でした。
まったくの素人で分からないことだらけですが、まずは第一歩前進のために本日より挑戦してみたいと思います。
私が経験した中で感じたことや、ウチにいる生き物について書いていきたいと思っています。
文才はあまりありませんので、1つの記事を書くのにとても時間がかかることと思いますが、頑張っていきたいです。
ちなみに本日9月11日は、私の誕生日です。意図してこの日にブログを始めようとしたわけではなく、本当に偶然立ち上がったのが今日でした。
これはきっと良い偶然だと思う事とし自分の中での士気を高めていき、よい記事が書けるように広い目を持っていこうと思います。
私はもうアラフィフですがこれまでで感じたことは、
「自分が知らないこともたくさんある。いろんな人の考え方があって、誰もがその人なりに”納得して”生きているんだ」
ということです。
できるだけ物事を平たい目で見るようにしていますが、やはり感情に負けてしまいそうになることもしばしば・・・。
生きていくうえで最終地点なんてないのかもしれませんね。柔軟性を持って生きていきたいものです。
ごあいさつが長くなってしまいました。書きたいことがいっぱいありすぎて・・・。
これからこのブログでいろいろ記事にしていきたいと思います。
よろしくお願いします。
2020年9月11日 mar